【PHP研究所】
「生きてあり」心を寄せ合い、温かい社会を。
映像の進歩はめまぐるしく、一瞬という時間さえ駒送りでゆっくり解明することができる。時を競う試合の判定も容易に決着がつくし、事故や事件の成り行きも一目瞭然になったのは素晴らしい限りである。
一方で、駒送りが可能になった今だからこそ、時を刻む切なさも余計に募る。
「この瞬間」についてしまう勝負の分かれ目、人生の明暗。観るほどに、映像の駒ならぬ、本当の時計の針を少しでも巻き戻せるならば、たとえば、眼前の不幸な災害、あの望まない戦争だって何とか回避できたのではないだろうかと。
天地開闢以来、時は一秒たりとも止まったことはない。時の流れは無常であり、ことさら人間には酷薄、常に手遅れの感を与える。
だからこそ、この瞬間にしっかり生きている尊さを、私たちはもっと知るべきではないだろうか。社会は不条理にあふれ、肯定感がない人が多いのはうなずける。
それでも今、生きているのを幸せと呼ばずして何と言おう。その自覚から、明日が、そして新しい年が希望とともに意味を持つのである。
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